純文学って何

最近本を読むことが増えてきたり、集英社新著プラスで本についての記事を読んでから純文学って何か気になっていたので調べてみようということで

 

純文学って何だよ | 時事オピニオン | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

 

あった。しかもちゃんと本書いてる人の文章だ。わーい

 

誤解されたままでいたほうが、「じゃあ、どんなもんか試しに読んでやんよ」みたいなモチベーションを湧かせやすいかもしれないですし。

俺じゃん

 

一方、文芸誌は必ずしもそうではありません。売れなくても構わないことを前提とした小説を、延々と発表し続ける場所なのです。出版社としては、まさに非採算部門なのです。

そんなのあるのか。調べてみたい

芥川賞を受賞している作品も純文学に含まれるらしい

 

 要するに、出版社が純文学を売ろうとすれば、最終的には「話題性」を狙うことしか、実践的な行為が無いんですよね。

確かに純文学の本を買うとすればその辺の情報から選ぶしかないかも…

 

商業作家で純文学って矛盾してるような感じがするけど文芸誌が売れることを前提としないのであれば理屈は通る

 

なんかあんまり引用しすぎると良くない気がするので引用はこの辺で。でも勝手に対話してるみたいで面白かった。

 

純文学はネタバレが機能しないという特徴があるということで、すごい目から鱗だった。確かに思想を自由に書いたものであるからストーリーを売りにしているわけではない?いやでもこの人の本の紹介を見るとストーリーがあるっぽいしうーん?

鴻池留衣さんは音楽のようだと仰っているけど、作者の解釈と自分の解釈を照らし合わせて、時には自分に重ねるみたいに解釈した。(解釈という単語の出現頻度が多すぎる)

 

小学校のテストに作者の気持ちを考えろみたいなのあったけどそれってこういうことなの?作者の気持ち考えてどうなるんだよwって長い間思ってたけどなるほどようやく理解できた。もうおじさんになっちゃったよ

良い気付きを得た

 

 

記事の中で紹介されてた記事も読もう

出版不況の中、芥川賞&純文学に未来はあるのか? | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい

 

まーた集英社だよ

小説って大説って言葉が中国に合ってそこから来てるらしい。世の中知らないこと過ぎるだろ…。小説は言葉で合って文章ではないらしい。

 

ここの松波太郎さんは広大なジャンルの中からはみ出てしまったジャンルを純文学と呼んでいるのではないかと仰っているし、ジャンル:作者のようなものなんだなと鴻池さんも仰っている。なるほど…

 

象徴としての天皇のように神々しい空洞を開けておく。文学におけるそれが純文学で、ある種の権威も付与されていると。確かに俺も純文学はなんかすごいもんだと思ってたし納得できる。

 

ということで2本の記事を読んだ。結果、純文学の定義の一つは文芸誌に載っていることで、それ以外にも色々あると。ただ広大なジャンルからはみ出しているものとネタバレが機能しないは両立するのか疑問ではある。

 

既存のジャンルに入らないからと言ってシナリオが重要なものもありそうな気はしている。ただ純文学を読んだことないのに好き勝手言ってるのが現状なのでまずは読んでみよう。